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Posted by 滋賀咲くブログ at

2020年06月07日

ブラームスの秘密

 さて。音楽史上、有名なある疑惑というものがありますね。ブラームスが師匠であるシューマンの奥方にどのような思いを抱いていたかという。ええ、我々はブラームスというと晩年のひげ面をまず思い浮かべるのですが、若き日の肖像画を見ると、ブラームスはなかなかの男前だったのですね。案外、ハンブルクから出てきたのも、いられない事情でもあったのではないかと。あるいは、「後家殺しのヨハネス」という浮名でも立ったというような。実際、このハンブルクから来た色男は師匠の女房を後家にしちまった…いや、そうかも知れないと私はにらんでおるのです(笑)。

 百歩譲って、音楽を志す者としてシューマンの元にやってきたとしても、その傍らに女神が控えていたことで、やつの心的態度によからぬ変化が起きてきたのではありますまいか。「あの野郎さえいなければ」…ブラームスが師匠を見る目が次第に殺気を帯びるようになってきたのではあるまいかと。いずれにしても、師匠の女房に横恋慕するなんぞ、天晴れな外道ぶり。後のブラームスはシューマンが引き立ててくれたからあったということは音楽史上の歴然たる事実であります。「恩を仇で返す」とはまさにこのことでありましょう。さて、邪魔者を亡き者にして、女神を我がものにしようという陰謀はあったのか、なかったのか。ご存知のように、シューマンは自殺未遂などを起こして、病院送りになってそこまま世を去るのでありますが、絶命の言葉は「私は知っているぞ」であります。シューマンは何を知っていたのでしょうか。ひょっとすると、こういう場面でもあったのでしょうか。

ブ:「愛しのクララ、私の心の内はおわかりのはずです。どうか、私の気持ちをお受け入れ下さい」
ク:「いけません。私には夫があるのです。夫を裏切るなんて…そんなことは」
ブ:「先生はもうまともな意識もないではありませんか。もう何もおわかりにはなりません。何が起ころうと」
ク:「そんなことできませんわ。地獄に落ちます。神はお許しにはならないわ」
ブ:「よろしいではありませんか。いっしょに地獄へ落ちましょう。どうか…どうか、一晩のお慈悲を」
ク:「いけないわ。だめ…ヨハネス。いやっ、いやっ…だめよ」
ブ:「クララ…もう私は辛抱できません。どうか、私の愛を受け入れてください。少し早いか遅いかのことではありませんか」

 何やらレディースコミックに載っている漫画みたいな顛末になってしまいましたが、シューマンの生前にかような出来事があったのだとしたら…邪魔者を亡き者にして、女神を後家にするという作戦はまんまと成功したことになります。。しかし、当のシューマンとて、てめえの師匠の娘を、駆け落ちという形でかっぱらった前科のあるドロボーなのであります。まさに歴史は繰り返す、輪廻はめぐる糸車…というやつです。  


Posted by 野州無宿 at 21:50Comments(0)

2020年05月24日

モーツァルトの秘密

 さてと、こんなことは今さら私が言うことでもないのですが、モーツァルトはオーストリアのザルツブルグの生まれであります。山梨県に塩山市というのがあるけど、やはり岩塩が出るのかどうか。まあ、時代的に言うと、オーストリアの肝っ玉母さん、マリア・テレジアの治世下であります。あのマリー・アントワネットにも会っているんですね。御前演奏とやらでいろいろ芸を披露したそうです。その折、ご幼少のみぎりとはいえ、楽師風情が身分をわきまえない問題発言をしたそうですけどね。

 ところで、ドイツ語というのは実に地域差の大きい言語だそうですね。一応、高地ドイツ語なるものが標準語とされていますが、プロイセン王国が主導権を取って「ドイツ帝国」をでっち上げる前は、領邦国家というものに細かく分立していたわけですね。そういう経緯もあって、ハンブルク辺りの人間とミュンヘン辺りの人間とは、今日でも言葉が通じにくいということがあるようで。さて、オーストリアもドイツ語が使われていますが、これまたちょっと語調が違うようです。南方気質とでも言うべきなのですが、ちょうど日本の九州弁に近い感じの言葉だということです。つまり、モーツァルトとかブルックナーは「ばってん、おいはな…」とか「ほんのこつ腹立つばい」なんて言葉をしゃべっていたわけなのです。まあ、グラーツ出身の指揮者カール・ベームを思い浮かべれば、納得なのではないでしょうか。あのおとっつぁんはオーストリア訛りが強かったそうですし。

 あの時代、音楽家などという概念はまだ存在せず、単なる貴族のお雇い人に過ぎなかった。モーツァルトもそうでした。このお雇い人に課せられた仕事の一つが、雇い主が飯を食っている間BGMを奏することでした。いわゆるターフェルムジークというやつですね。これがモーツァルトにとって辛かったんですね。腹をすかしているその最中に、人が飯を食っている間中、伴奏音楽をやんなくちゃいけないんだから。一仕事を終えて行きつけの店に飛び込む時には、もう腹はぺこぺこです。漏れ聞くところでは、オーストリア辺りの中欧地方ではよく内臓を材料にした料理が見られるということですね。日本では味噌で味をつけますが、オーストリア辺りでは澄んだスープの中で柔らかく臓物が煮えていて、シンプルに塩で味をつける…実は、モーツァルトはこの料理が大層好きだったんですね。店に飛び込むやいなや、モーツァルトは開口一番、「おっちゃん、腹減ってたまらんばい。モツあると?」と言ったとか言わないとか。…うそでげす。今まで真面目に読んで下さった方、すいません。みんな私のつくり話です。ここまで引っ張ってくるのはなかなか骨でしたけど(笑)。  


Posted by 野州無宿 at 22:27Comments(0)

2020年05月09日

バッハの秘密

 さて、時に1750年、一人の音楽家がドイツのポツダムを訪ねた次第であります。音楽家の名はヨハン・セバスチャン・バッハ。言うまでもなく、後年「大バッハ」として記憶される人物であります。お決まりのわずらわしいチェックを経て、暫時待たされた後、ほどなくして靴音高く当館の主が現れたのでした。姿を現したのは誰あろう、プロイセン王国のフリードリヒⅡ世…後の世に「大王」と称せられた人物でした。
「おお、バッハではないか。バッハ、バッハ…地を跳ぬるのはバッタ」
「陛下…何か仰せられましたか」
「捨て置け。こっちの話よ。よう参ったの。久方ぶりであるな。また会えてうれしいぞ」
「陛下、過分なるお言葉を賜り、恐悦至極にござりまする」
「ああ…よせよせ。余とそちの仲ではないか。さような堅苦しい挨拶は今さら無用ぞ」
 大王は気さくに言ったのでした。恐縮するバッハを自分がすわっている同じ長いすに座らせて歓談にふけったのでした。息子であるカール・フィリップ・エマニュエル・バッハが大王に仕えていることからこの縁が生まれたのでした。1747年、自身フルート奏者である大王から与えられたテーマを元に、「音楽の捧げもの」という名曲が生まれたのは音楽史上、周知の事実であります。それ以来、大王はバッハの才を愛し、「折あらば遠慮なく訪ねよ」というありがたいお言葉まで賜ったのでした。

「時に、バッハ。こたびはいつまで当地にいられるのだ? 遠慮せず好きなだけ逗留して参れよ。余もそのほうがうれしいぞ」
「もったいなきお言葉。さりながら、お忙しい陛下のお邪魔になってはいけませぬゆえ、頃合を見ておいとまいたしまする」
「さようか。残念よのう。なれど、無理に押しとどめるのも気の毒じゃ。おお…そうじゃ、明日にでもそちに珍しきものを馳走してやろうか」
「何でござりましょうや?」
「いや、なかなかよそでは味わえぬものぞ。膳部に指図しておくゆえ、明日を楽しみに待っておれ」
 何やら意味あり気な含み笑いをする大王に、バッハは何となく嫌な予感がしたのです。何しろ、なかなかやんちゃな王さまでしたから。

 まあ、最近こそ外国人にも寿司というものが受けていますが、時代は18世紀であります。歴史のこぼれ話になりますが、寿司を食べた最初のドイツ人とは、プロイセン王国のフリードリッヒ大王なのですね。ご存知のように、大王は頭の啓けた人物でして、オランダ経由でもたらされた書物で、東洋の小国ではやっていた食べもののことを知っていたのです。で…それが食いたくて仕方がなかった。そして、ついにある日、鶴の一声が下ったのです。「余は寿司が食したいぞ」…さあ、大騒ぎになりました。宮廷の家臣はそんなものは見たことも聞いたこともない。書物による伝聞情報で寿司をつくってみせねばならなくなりました。バルト海でコハダに似た魚を調達してきたり、地中海までマグロを採りに行ったり、オランダ経由で少量輸入されている醤油をおさえたり…まったくもって、すまじきものは宮仕え。しかし、名君の下には優秀な家臣が仕えていたようでして…彼らの奔走の末に、ついに「我が君」に寿司を召し上がっていただく日がきたのでした。

 マイセンの磁器の上にのせられて、しずしずと御前に運ばれてきました。フォークとナイフが添えられていましたが、大王はそんなものには目もくれず、作法どおり手づかみで小皿に取った醤油に寿司をつけ、口に運ばれたのでした。しばらく大王はもぐもぐと口を動かしていましたが、「タン」と舌を鳴らして「美味である」とこの異国の食べものに祝福を与えたのでした。生魚を食うことなど思いもよらなかった時代です。フリードリッヒ大王とはそういう開明的な人物だったようでして。大王はコハダにマグロの赤身、アナゴという江戸前のネタがお好みだったそうで、この三種の寿司を味わうためだけにポツダムに迎賓館をお建てになったのでした。これが今も名高い「サン・スーシィ宮殿」なのであります。さ~て、前置きが長くなりましたが、大王はそれをバッハに食わせてやろうという算段なのですね。

 その当日、大王はもてなしの意味で自ら包丁を取って、地中海から取り寄せたタイをバッハの目の前でさばいたそうであります。田舎者のバッハはたちまちおじけづきました。生魚を刃物で切り刻む様を見たのは生まれて初めてだったのですね。その断末魔の光景がしばらくは脳裏から去らなかったそうです。そして、その体験から一つの名曲が生まれたのでした。言わずと知れた、「マダイ受難曲」であります。宗教音楽の傑作と見なされている音楽ですが、そのモチーフは別のところにあったのです。いつの間にか「゛」が落ちてしまいましたが、「マタイ受難曲」の真実とは以上のようなものでした。本当の話です(笑)。  


Posted by 野州無宿 at 22:55Comments(0)

2020年04月07日

小噺5

【お里は知れへん】

「お住持さーん、いたはりまっかー!」
 相も変わらず門前で傍若無人なアホ声を張り上げた者がある。しつこいようだが、当寺の檀家の一人で、名を七兵衛という。大阪近郊のベッドタウン、なにわ市の出身である。
「はいよー、シルバー!」
 西部劇調の雄叫びを上げ、ほうきにまたがって「ローレン、ローレン、ローレン」と歌いながら現れた者がある。もちろん、クリント・イーストウッドではない。しつこいようだが、当寺の住職で法名を墾場院修覚という。近在ではなぜか名僧で通っている。滋賀県長浜市の出身である。もっとも、「近江の悪僧」などと陰口をたたく正直…失礼、不届者もいるようだが。
「お、出たな、悪漢・七兵衛キッド。今日は何用じゃ。決闘の申込みか。受けて立つぞ」
「違いまんがな。つかぬことをお訊きしますけど、お住持さん、どこのご出身でっか?」
「おお、わしの生まれかい? わしは近江や(アクセントのつけ方よろしく)」
「大宮? 埼玉県の?」
「ちゃうちゃう。江州や、江州」
「へえ、オーストラリアでっか。道理でとぼけたお顔がどことなくコアラに似てますな」
「わからん男やな。太閤はんが昔お城を構えてはった…」
「太閤はんのお城は大阪にしかおまへんがな」
「どない言うたらわかるんや」
「どう聞いたらええんですか」
 
 教訓:持って回った言い方をするからである。話相手に合わせた表現を心がけよ。  


Posted by 野州無宿 at 23:15Comments(0)

2020年04月06日

小噺4

【フランス人はサバがお好き】

「たのもーう。たのぉーもぉー!」
 門前で非人間的な大声を張り上げた者がある。当寺の檀家の一人で名を七兵衛という。
「ボンジュール、モナミ。サ・ヴァ・ビアン?」
 仏蘭西風の挨拶を返した者がある。当寺の住職、墾場院修覚である。構えて農機具ではない。
「お気づかい痛み入る。ジュ・ヴェ・ビアンにて候。ご挨拶ついでに一不審もて参る!」
「これは一興。慎んでお相手つかまつらん」
「説破!」
「そもさん!」
「海中に三類の魚あり。サメにマグロにサバなり。水練の巧みなる者はいずれか口論と相なり、三者はこれを確かめんと競争に及ぶ。勝ちを得たるのはいずれなりや。お答え!」
「むむむ…サメとマグロとサバが競争? 結構むずかしいな。わからんな。問答に負けたりしたら檀家の衆の聞こえもようないしな。よっしゃ、逃げたろ。…拙僧は仏に仕える身ゆえ生臭ものの儀は一向存じ奉らず。存じ寄りの魚屋にでも訊かれよ。それでは御免!」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってや。そんなん答えになってまへんわ。あ、逃げなはんな」
「いや、わしはとうに生臭とは縁の切れた者ゆえ…」
「まだ言うてけつかる。要するに、わからんのですな。まるっきり見当つかんのですな」
「何じゃと? 人聞きの悪いことを言うな。わからんのではない。専門外と申しておる」
「相変わらず負け惜しみの強い坊さんや。そうですか、専門外。そんならそれでも構わんけど、あくまで門外漢の当て推量ということなら答えられんこともないんと違いまっか」
「門外漢の当て推量…なるほど、そんならええか。…されば、お答え申そう。勝ったのは多分マグロやろ。何しろマグロは回遊魚や。海ん中を四六時中泳いでる。時速に直せば50キロくらいの速度で泳いでる。乗用車並みやな。一等速いのはマグロに違いないな」
「ふふん、それが畜生の浅ましさ」
「誰が畜生や。違うのんか」
「違いますな。勝ったのはサバですわ」
「わからんな。何でサバなのじゃ」
「サバはアシが速いさかい」
「…何や、トンチかいな。真面目に考えて損したわ。第一、魚に足なんてあるかい?」
「無論、たいがいの魚には足はおまへん。けど、まれに直立する魚もおらんこともない」
「ほう、そうか。そら初耳や。何という魚じゃ?」
「…いや、タチウオいうて」
「…あんまりテンゴばっか言うてると、三枚におろしてサバの押し鮨にしてまうで」
「ふふん、いバッテラ」

 教訓:青魚は悪くなりやすいものです。刺身で食べる時は鮮度に注意しましょう。  


Posted by 野州無宿 at 19:55Comments(0)

2020年04月05日

小噺3

【狐狸の鳴く夜は恐ろしい】

「たのぉーもぉー!」                      
 門前で道場破り風の胴間声を発した者がある。当寺の檀家の一人で名を八兵衛という。
「ジャンジャジャーン!」                    
 自ら効果音を発しながら劇的に現れた者がある。当寺の住職で、法名を墾院修覚という。近江の農家の次男坊の出身で、その徳の高さで近在に名が知れ渡っている。ここは畿内屈指の名刹、一目山随徳寺。どこと特定はできないが、大阪近郊某所にあるそうな。
「お住持さん、こんにちは」
「おお、誰やと思うたら七兵衛さんやないか。しばらく顔見せなんだが、生きとったか」
「…ご挨拶やな。あいにくまだ息してます。お手を煩わせるのはまだ先のことですわ」
「それはなにより。さよう、そう急ぐことはない。ゆる、ゆる、と。ゆるゆると…な」
「おおきにありがと。それはそれとして、ちょっとお訊きしたいことがおますねんけど」
「はいはい。何でも訊いてごらん」
「キツネやタヌキは化けますか?」
「そやな。キツネの七化け、タヌキの八化け…世間ではようそんなことを言うてるな」
「化かすのがうまいのはどっちです?」
「わしもあいにく連中と知り合いというわけではないのでな、毛並み…いや、手並みのよしあしまではわからへんが、よう化けるのはタヌキのほうじゃ。それは間違いないな」
「そうやろか」
「そうじゃとも。ケツネはどこ行っても万国共通。うどんに油揚げをのっけたもんと相場は決まってるけど、タヌキは場所によってものが違う。大阪ではそばの上に油揚げをのっけたもんがタヌキで、東京ではうどんかそばに天カスを入れたもんをタヌキという。京都では何とアンかけをタヌキというそうな。藤田はんの好きそうなやつやな(古いなあ)」
「…ひょっとして、麺類の話をしたはりまんのか」
「さよう。四国に行くと、これまた別のものになるそうな。タヌキうどん、ちゅうてな」
「お住持さん、そらタヌキやのうて讃岐や」
 教訓:タヌキを注文する際には、自分が今どこにいるかちゃんと確認しましょう。  


Posted by 野州無宿 at 00:52Comments(0)

2020年04月04日

小噺2

【東西お作法問答--スキヤキ編】       

「お作法の違うものは他にもあるわな。うどんの汁の違いくらいは誰でも知ってるが、ウナギの開き方に焼き方、餅の形や雑煮の味つけ…西と東とではみな仕方が違うてる」
「確かスキヤキの仕方も違いましたな」
「おお、よう知っていなさる。その通りじゃ。関西では肉や野菜を炒め焼きにして醤油と砂糖で味つけするけど、関東辺りだと味のついた割り下でのっけから煮込んでしまう…所変われば品変わる…。諸行無常、会者定離…ナマンダブ、ナマンダブ、ナマンダブ…」
「おかしなとこで念仏唱えなはんな」
「その辺の違いを主題に取り上げた映画があったが、七兵衛さん、知っていなさるか?」
「…またかいな。今日はそんなんばっかりやな。知りまへん。聞いたことおまへんわ」
「そうか。結構はやった映画じゃが……ほれ、豪華客船が氷山にぶつかって沈むという」
「ああ、あれでっか! わたい、見ました! 感動しました! 泣きました!」
「それなら、話は早い。沈みゆく船の中で末期のスキヤキ鍋を囲む場面があったじゃろ」
「ええーっ!? ちょっと待っとくれやっしゃ。そんなけったいなシーンがおましたか?」
「あったとも。あんた、どこを見ていたのじゃ。たまたま船に乗り合わせた大阪のお人と東京のお人が、話の終いのほうでは、我を捨てて一つのスキヤキ鍋を囲む…まことに感動的な場面じゃ。御仏の教えにも適うておる…。ナマンダブ、ナマンダブ、ナマンダブ…」
「また念仏かいな。けど、わからんなあ。別の映画と勘違いしてはるのと違いまんのか」
「何を言う。勘違いやない。大西洋上で豪華客船が沈没する話じゃろう」
「おっかしいなあ。お住持さんの言ってるのは、いったい何ちゅう題名の映画ですねん」
「いや、問題になってるのがスキヤキだけに、『煮いた肉』いうてな…」
「…お住持さん、今の話みんなウソでっしゃろ」
「ふふふ、わかるか」
「わからいでかい!」
 
 教訓:坊さんは問答のプロである。在家の者が口で敵うなどと考えてはならない。  


Posted by 野州無宿 at 00:19Comments(0)

2020年04月03日

小噺1

【東西お作法問答--オデン関東煮編】

「たのーもう!」
 門前で大声を張り上げた者がある。道場破りではない。当寺の檀家の一人、知りたがりの八兵衛という者である。ものを考え過ぎて脳ミソが痒くなると、寺の門前に出没する。
「はいはい、しばし待たれよ」
 奥から現れたのは当寺の住職、墾場院修覚(こんばいんしゅうかく)である。檀家の衆からなぜか「御仏の化身」などと呼ばれている。理由は今もって謎である。
「お住持(じゅつ)さん、こんにちは」
「おお、誰やと思うたら八兵衛さんかいな。相変わらず息災そうじゃな。ま、お上がり」
「上がらしてもらいま。ちょっと串カツのことでお訊きしたいことがあって参じました」
「何じゃいな、また揚げもののことか。八兵衛さんはよほどに油っ気がお好きと見える」
「へえ、今日は金曜やよって、油に縁があるのは当然ですわ」
「何で金曜日だと油に縁があるのじゃ」
「いや、フライデーいうて…」
「八兵衛さん。あんた、わざわざテンゴを言いにここに来なさったのか」
「滅相もない。不思議に思うことがおまっさかいに」
「いったい何がそんなに不思議なのじゃ」
「いえ、関東煮のことを東京ではオデンいいまんな」
「串カツの話はどうなったのや」
「へへへ、あれは当座の露払いで」
「坊主を相手に露払いなどせんでよろし。で、関東煮がどうしたというのじゃ」
「いや、見た目は大して違うてないのに、何で西と東で名前変えなならんのか思うてね」
「見かけが似ていても、お作法が違う。大阪では薄味に仕上げ、東京では甘辛く味をつける。じゃによって、呼び方も違う。おわかりかな?」
「なるほど」
「その辺の違いを主題にした映画があったが、八兵衛さん、知っていなさるか?」
「ええっ? そんな映画がおましたか?」
「あったとも。昔ジェームズ=ディーンというアメリカの二枚目が主役をやりなさった」
「いやあ、知らんかった。貸ビデオ屋で借りてこよ。その映画、何ちゅう題名でっか?」
「…いや、ネタになってるのが関東煮だけに『オデンの東』いうてな」
「…それ、ひょっとして、オデンやのうてエデンとちゃいまんのか?」
「ふふふ、そうともいうかな。確か続編もあったと聞いとるぞ。題して『関東煮の西』」
「お住持さん、ええ加減にしなはれ」


 教訓:ひねりの足りぬ駄ジャレを口にするたびに、人は強く逞しく鉄面皮になる。  


Posted by 野州無宿 at 00:59Comments(0)

2020年03月26日

2020年03月25日

シンちゃんの秘密

 ところで、話が変わりますが2007年の大河ドラマのことです。どうもドラマ性と史実の間で苦慮しているのではないでしょうか。奥方に謀殺されるという形で小山田出羽守を片づけてしまった、というのは、かなり強引きわまるケリのつけ方ではないかと。もっとも、50話くらいで終わらせなければならないというジレンマもありますからねえ。さて、あれが実像かどうかはともかくとして、作中ではなかなかにクールに振舞っていた小山田出羽守ですが、ほかの家臣とは立場がちょっと違うそうですね。お屋形から呼び出しを受けると、何となく嫌な気持ちになるのが、小山田一族の当主の本音だったのではありますまいか。あるいは、ひそかに亡き者にされるのではないかと。後に武田を裏切る小山田信茂にもその心理はあったのかも知れません。さて、ある朝のことですが、武田晴信は小山田出羽守の元に早馬を飛ばしたのでありました。

「おお、小山田。すまなんだの、かような早朝に」
 武田晴信は気さくに応じましたが、それを素直に信じるような信有ではありません。刀の柄に手をかけた武者どもが隣の間に控えていても珍しくも何ともないご時勢だったからです。しかし、そんな素振りはまったく見せずに、信有はお屋形に平伏してみせたのでした。
「いえ、お召しとあらば、いつ何時にても…されば、お屋形さまには何ぞお心を惑わせることでもござりましょうや」
「さすがは出羽守よ、よう見抜いた。かようなことに心乱すとは恥ずかしきことなれど、何とも気になって昨夜は眠れなんだのじゃ」
「それは由々しきこと。そのお迷いをまずこの信有にご相談あるは身の誉にござる。されば、何とぞそのお胸の内をお明かし下され」
「うれしきことを言うてくれる。その方がいる限り武田家は安泰であろう。これからも頼りに思うぞ」
「身に余るお言葉、恐悦至極に存じまする」
 このおだて言葉がくせものなんだよな、と腹の中で思いつつ、出羽守は如才に応じたのでした。
「時に、小山田」晴信は思い出したように言いました。「その方、朝餉はもう済ませておるのか」
「いえ、早朝ゆえ未だ。お屋形さまの御元に駆けつけることが大事ゆえ」
「おや、まだ?」

 小山田出羽守はうっと絶句したのでした。武田信玄の唯一の欠点がこの駄洒落癖でした。戦上手というだけでなく、民生にも心を砕き、武将としても経世家としても申し分のない指導者なのですが、やはり完璧な人間はいなかったのです。ギャグだけはまるっきり駄目だったのです。「山には草木(臭き)がある」という有名な駄洒落に如実に現れている通り、脱力ギャグを吐いて家臣に笑いを強要するいけない趣味があったのでした。「お屋形さまも、あのご趣味さえなければのう」と両角豊後守が嘆いているように、この駄洒落癖を憂えているのは小山田信有一人だけではなかったのです。
「いかがじゃ。面白いであろう。昨夜寝ずに考えたのじゃ。早うそちに聞かせたくてのう」
「さようにござりますか」
 出羽守は肩を落としました。この駄洒落を言いたいがために、朝っぱらから呼びつけたのか…実に何とも情けない気分になりました。信玄は信有の表情がさえないのに気がつくと、
「さほど面白うはなかったかのう」とつぶやくように言ったのでした。信有はあわてて表情を取りつくろうと、
「とんでもござりませぬ。お屋形さまの諧謔、この出羽守、ほとほと感服してござりまする」
「おお、さようか。うれしきことを言う。されば、笑え」
 出た。笑いの強要であります。小山田信有は一瞬の沈黙の後、引きつったような苦しい笑顔を見せたのでありました。  


Posted by 野州無宿 at 01:53Comments(0)